2014年2月18日火曜日

発想の論理

前の記事で紹介した「ゲームの父・横井軍平伝 - 任天堂のDNAを創造した男」という本では、「枯れた技術の水平思考」という任天堂の開発哲学が紹介されています。それは、既に普遍化している技術(枯れた技術)を別の使い方をする(水平思考する)ことで、新しいモノを創りだすことを意味します。この「枯れた技術の水平思考」には、色々と思うところがあります。

2007年ごろ、「発想の論理 - 発想技法から情報論へ」(©1970, 中山正和)という本を読んだのですが、その本の出だしには、「創造とは、異質なものを組み合わせて、新しいはたらきを作ることをいう」と書かれています。そして、それがSUZUKI PLANの開発哲学みたいなものになっています。

その当時の私は、投機行為(株など)が趣味でしたが、その「お金を作り出す錬金術」みたいなものに、少々嫌気がさしていました。投機はギャンブルと同様、情報戦&心理戦です。それらに長けている人がお金を稼ぐことは容易く、そうでない人がお金を溶かすことはもっと容易いです。更に、お金に対して頓着が無い人が勝ち、お金に対して執着が有る人が負けます。これは、確信を持って断言できます。その為、「お金が欲しい」という動機で株や為替を始める事は、オススメできません。そういう人(※普通の人はだいたいそうだと思います)は、ほぼ確実に負けます。

お金に対して執着がある人は、実際にお金を賭けてギャンブル行為をすると、心が乱れます。そして、心が乱れれば、情報に踊らされ易くなり、更に心理戦にも負けます。私自身、お金は好きですが、それは、どちらかといえば「ゲームのスコア」みたいな意味で好きなだけで、頓着みたいなものは有りません。ゲームのスコアは、ハイスコアならセーブされるかもしれませんが、開始する時は常に0点から始まる空虚なものです。だから、強かったのかもしれません。しかし、投機行為で造ったお金は、実に味気が無いものでした。

私はお金に対して頓着がありませんが、昔からモノ作りが好きだったので、「モノの対価として受け取るお金」に対する強い渇望がありました。しかし、投機行為で得られるお金は、同じお金でも完全に「似て非なるモノ」です。ある日、そのフラストレーションが極限状態に達し、突発的に株などを全て現金化して投機行為から完全に足を洗い、その資金を元手に、何らかの創作行為に挑戦することにしました。

余談ですが、私が株などの資産を全て現金化した約1ヶ月後、リーマンブラザーズ証券が破たん(いわゆる、リーマンショックが発生)しました。俗にいう神回避というヤツですねw 続けていたら、結構大変なことになったかもしれません。

どのような創作行為をするかについては、迷いはありませんでした。私は中学~高校ぐらいの頃まで、PC-9801でゲームを作って遊んでいたので、(昔取った杵柄ではありませんが)ゲームを作って売るのが良いだろうと思いました。ところが、ゲームを作って売るには大きな問題があります。それは、私の絵と音楽では、正直お金にならないということです。プログラムなら(一応プロなので)どうにでもなりますが、絵と音楽に関しては才能が無ければどうにもなりません。

しかし、私は昨今の絵や音楽が素晴らしいゲームが、どうにも好きになれませんでした。ファミコンの頃は、同じゲームを狂ったように何度も遊び倒していましたが、昨今のゲームは、何というか「底が浅い」ものが多いので、すぐに飽きてしまいます。だから、絵や音楽が下手なことは然して問題無く、「アイディアが良ければ売れるだろう」と考えました。

しかし、そのアイディアが浮かばない…

そこで、とりあえず、膨大な量の本を買い漁って読むことにしました。「とにかく知恵をつければ何とかなる」程度の考えで、哲学、文学、経済学、法律、政治、宗教、雑学、官能小説など、様々なジャンルの本(主に文庫本と新書)を月10冊ぐらいのペースで読んでいたと思います。上述の「発想の論理 - 発想技法から情報論へ」は、その中の一つです。

「創造とは、異質なものを組み合わせて、新しいはたらきを作ることをいう」

「創造」という言葉を、「発明」に置き換えても良いかもしれません。発明といえば、発明王「トーマス・エジソン」が思い浮かびますが、トーマス・エジソンの初めての発明品について、wikipediaに下記のようなエピソードが書かれています。

wikipediaより引用】
17歳の頃のエジソンはカナダの駅で夜間電信係として働いていたが、「何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るだけ」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明した。電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになった事を不思議に思い様子を見に来た上司に「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これがエジソンの最初の発明だった。

上述の「時計を使って電信機が自動で電信を送る機械」とは多分、時計の長針(分針)の動力を利用して、電信機のボタンを押す感じのものだろうと思います。時計と電信機という異質のものを組み合わせて創られた物と言えます。更に、時計の長針を本来の用途と違う使い方をして(=水平思考して)創られた物とも言えます。

私にアイディアが浮かばなかった原因は、恐らく、この考えが足りなかったからだと悟りました。かのトーマス・エジソンでも、発明の要素部分は未知のものではなく、既知のものの組み合わせです。凡人の私が、それを上回る創造をしようとするのは、かなり無理があることだと言えるのではないでしょうか。

そこで、既存のゲームのルールを組み合わせてゲームを作ってみてはどうだろうかと考え、私が嘗て好きだったアルカノイド(ブロック崩し)とスペースインヴェーダーのルールを組み合わせたゲームを作ってみました。

それが、Invader Block(初代)です。
※一応、今でもVectorでダウンロードできますが、Mode-Xという最近のPCには搭載されていない画面モード(320×2408bitカラー)を使っているので、多分、最近のパソコンでは動作できないかもしれません。なお、スマホ進出後最初に作ったInvader Blockのリメイク版(Invader Block 2)なら、最近のPCでもちゃんと動きます。

私は、Invader Block(初代)を作る前に、Classic Blockというシンプルなブロック崩しゲームも作りました。Classic Blockは、肩慣らし程度の目的で作ったものです。私は以前からPC-9801でゲームを作っていましたが、Windowsでゲームを作るためのノウハウが殆ど無かったため、DirectXDirectDraw)の使い方を勉強する必要がありました。完成したClassic Blockは、Invader Block(初代)と同様、Vectorで公開しています。

私は、Invader Block(初代)とClassic Blockの両方をプレイしてみて、「断然、Invader Block(初代)の方が面白い」と感じていたのですが、ダウンロード数を比べてみると、Invader Block(初代)よりもClassic Blockの方が多かったりします。

【参考:2014131日時点のDL数】
Classic Block = 3686
Invader Block(初代) = 524

これは致し方が無い結果かもしれません。「Classic BlockよりもInvader Block(初代)の方が面白い」ということは、実際にプレイしてみないことには分かりません。そして、何処の馬の骨とも知れない開発者が作ったゲームの場合、奇抜なモノよりもオーソドックスなモノの方がダウンロードされ易いです。

しかし、オーソドックスなモノの場合、作り手(競合)が沢山居るから、グラフィックなり音楽なりが良いものには勝てません。オーソドックス路線は茨の道です。グラフィックが得意な人や、音楽が得意な人ならそれでも問題無いと思います。ただ、それでも競争原理が働けば「ジリ貧」という名の茨の道になりそうなので、同じかもしれません。だから、Invader Block(初代)のような路線でいくことが正解であろうと考えています。この考えは、今でも変わりません。

ところが、スマホへ移行後も、とりあえず技術力をアピールする目的でオーソドックス路線のゲーム(NOKOGI Rider)を作っていて、現時点のSUZUKI PLANの収益の大半はNOKOGI Riderが稼ぎ出しているという状況なので、若干自信が揺らぎつつありますが。ただし、稼いでいるといっても額としては微々たるもの(月あたり1万円にちょっと届かない程度)なので、まだ完全に折れてはいません。(NOKOGI Riderが10万本以上売れたりしたら、流石にそっち路線に切り替えるかもしれませんがw)

私は、しばしばこのブログやSNSで「任天堂寄り」の発言をしていますが、それは、「枯れた技術の水平思考」という開発哲学を貫こうとする姿が、「発想の論理」を基点とする私の開発スタイルと被る所が多くて、ついつい自分を任天堂に投影して見ているからかもしれません。

発明には失敗が付き物です。

だから、SUZUKI PLAN路線のゲームが、私自身が創ったオーソドックス路線のゲームにすら勝てていないのは、掃いて捨てるほどある失敗パターンの内のひとつであろうと考えています。恐らく、1000のアイディアがあれば999が駄作に終わるぐらいの世界です。もっと酷いかもしれません。

しかし、1つが当たれば大きいし、単なる性能競争みたいなものと違い、ジリ貧になる事はありません。負ける時は、アッサリと消えて無くなる儚いものです。「ギャンブル的」という表現が適確かもしれません。その点、私はギャンブルには強い方だと思うので、何とかなるのではないかと思っています。

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